オーミー!フォーユー!

前回は姉川古戦場についてご紹介いたしました。
近江の浅井(あざい)、越前の朝倉、尾張・美濃の織田の争乱を時系列で追い、
その1570年の姉川の合戦から3年後の1573年に落城した浅井氏の居城、小谷城跡を今回は探訪いたします。

JR米原駅から北陸線で約15分。
河毛駅に到着します。ここが鉄道での小谷城跡へ向かう最寄り駅となりますが、
やはり駅を降りると浅井長政公とお市の方の銅像が正面に鎮座していました。

そして、この河毛駅から徒歩で20分程度のところに標高490メートルほどの小谷山がそびえ、
それこそが北近江の戦国大名である浅井家三代亮政、久政、長政によって築城、増築、改修された小谷城跡なのですが、
山に至る道中にはかつての城下町を偲ばせる遺構の数々が残されていました。

そしてたどり着いたのが、山に向かって緩やかな坂が広がる清水谷(きよみずだに)です。
このわずかに広がる平地が小谷城の大手(正面)だったとされ、
ここに浅井家の居館や家来の屋敷、寺院などが立ち並んでいたそうです。

そして右の山、正面の山、左の山の尾根上にいくつもの曲輪(土塁や石垣、堀などで区分けした場所)が築かれ、
さらに土塁で防御され、
天守や石垣は小規模で数少ないものの中世から戦国時代にかけて全国に築かれた山城の中でも五大山城のひとつとされた、
難攻不落の小谷城を形成したのです。
つまり小谷城とは頂上とされる大嶽(おおづく)から左右に広がる山の尾根伝いに、
清水谷を囲むコの字型の城郭だったのです。

清水谷絵図をご覧になれば小谷城の全貌がわかります。
正面奥の山が小谷山の山頂にあたり、大嶽(おおづく)で、ここにも城が構えられていましたが、
ここから右手に伸びる尾根伝いに本場が築かれ、
清水谷を挟んで左手には福寿丸や山崎丸という出城が築かれ城の防備にあたっていました。

それではいざ登城いや、登山に出発です。
城跡への入場口とルートはいくつかあり、清水谷から清水道を進み、
頂上である大嶽城跡まで一気に駆け登る上級者?ルート。
左手の山崎丸、福寿丸の出城跡を登る長距離ルート。
そして一路、本丸跡から山王丸跡を目指し右手の尾根を登る追手道ルートの三つが一般的なのですが、
ハイキングではなくほぼ山登りだという付近の方のご意見を参考にして、距離の短い追手道ルートを選びました。
まず驚いたのはクマ出没の看板です。
NHK大河ドラマ“江(ごう・浅井三姉妹の三女)”の放映記念として作られた兜のモニュメントよりも目を引きました。
野生の動物がいるんですね~などと感心していると
山沿いの道の50メートルほど向こうに野生の日本猿の親子がジッとこちらを睨んでいました。
ここからの道のりは相当な覚悟がいるのかと感じながら出丸入り口から追手道へ進みます。

出丸跡の木札口から、当時の傾斜のままなのかと思わせる急勾配の坂道を登っていきますが、
土道で滑りやすく、スニーカーでは大変。
山を甘く見過ぎていました。
峠を越えて30分ほど歩き続けると金吾丸跡、そして城への入場の検問所とされていた番所跡に到着です。

戦国の昔は今のように木々は生い茂ってはおらず、もっときれいに整備されていたはずなので、
今よりは歩きやすかったと思いますが、それにしても当時の武将は、日本人は健脚だったんですね~。
登山の疲れを山から一望できる琵琶湖の景色が癒してくれました。

そして、この辺りにもクマ出没の看板が!
小谷山一帯は松茸の産地でもあり、また栗の木も多いので餌には事欠かないんでしょうけど、ここでは遭遇したくありません。
足早に登り続けて、御茶屋跡から御馬屋跡、桜馬場跡という兵馬を飼育したのか、広い平地が広がり、
そこには浅井家家臣団の供養塔もありました。
そしてここからは琵琶湖に浮かぶ竹生島も眺められます。
遠い戦国の昔、お市の方も浅井三姉妹もこの風景をたのしんでいたのでしょうか。

そして桜馬場からさらに進み、本丸への入り口であろう黒金御門跡を過ぎて歩くと、
いよいよ浅井家当主とその家族の住まいである大広間跡から本丸跡に辿り着きました。

本丸の南側に広がる、約1,000坪近くある小谷城最大の曲輪、大広間こそがお市の方や三姉妹が生活したであろう居館跡です。
そして、さらに石垣が積み上げられ、築かれたのが小谷城本丸です。
小谷山全体から見れば山の中腹にあたるこの場所に城の中枢が設けられたわけです。
石垣の上に二段の城が構えられていたとか。麓からの眺めは勇壮だったのでしょうね。

番所跡から歩くこと約20分、辿り着いた本丸跡は兵どもの夢のあと、
ともいうべき静かでうっそうとしたうっそうとした静けさが漂っていました。

信長公に攻めたてられた浅井長政公はこの地で自刃したのだろうか?
浅井三姉妹はどこから抜け出し木下藤吉郎のもとに下ったのか?
戦国史ドラマのイメージが次々と沸き起こります。

さらに小谷城跡を満喫するには、ここから山頂に迫る山王丸跡、
そして山の頂上である大嶽城跡を目指さなければならないのですが、その登山道は険しさを増すばかりなので、
麓へと舞い戻る決心に至りました。
さすがに中世五大山城のひとつに謳われる小谷城跡。
山城の堅固さを満喫した一日でした。
次に訪れる際は本格的な山登り装備で挑みたいと思います。特に登山靴は必須です。

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